卒業式に向けて
3月8日(水)、本校の第49回卒業式を挙行します。
今年度は、小学部3名、中学部2名、高等部3名の計7名が卒業します。
徳島病院に入院している子どもは、保護者の方が代理で参加して、卒業証書
を受け取ってくださいます。
さて、突然ですが「卒業式」や「卒業証書」に意味はあるのかと問われたら、
何と答えますか。
人生80年と言われていたのが、今や90年、100年の時代になりました。
人によって長短はありますが、お母さんのお腹のなかで受精卵が着床した時点から
妊娠が始まり、やがて人の姿まで成長した後、この世に誕生します。
その時、姿形は人間ですが、産まれたての赤ちゃんは、自分で生きていく術は何一つ
持っていません。そのままにしておくと、確実に命は消えます。
そこから、両親や家族、その他たくさんの人の力を借りながら成長していきます。
そして、寿命を迎えるまでに、様々なライフステージが訪れます。
乳児期、幼児期、児童期、青年期、成年期、壮年期、老年期。。。区別の仕方は
様々ありますが、年齢や成長発達に合わせて、変化していきます。
人間も動物の仲間ですが、他の動物と決定的に違うのは、本能だけでなく理性が
あるということです。それは、学習することによって獲得できるものなのです。
そのために、学齢期といって、小学校と中学校が義務教育と定められています。
その後も、高等学校、大学等、成長発達に合わせて学びの場が用意されています。
日本国憲法には、「教育を受ける権利」と「教育を受けさせる義務」が明記されて
います。学齢期の子どもは「教育を受ける権利」があり、その保護者や周囲の大人には
「教育を受けさせる義務」があるのです。
そして、それぞれの学びの最後には、その教育の課程を「修了」したことを広く
知らしめるために「卒業式」で卒業証書が授与されるのです。それは、一種の証明書
として、次の学びを受ける(進学する)ために必要となることがあります。
ですから、「卒業式」も「卒業証書」も決して意味がないわけではないのです。
長いライフステージの中の、一つの区切りだと思います。あまり先が長すぎると
目標を見失いそうになるので、スモールステップで目標を立てて、それに向かって
進む。途中で変更も可能です。真っ暗の中、手探りで進まなければならない特は、
とても不安だけれど、進む内にやがて一筋の光が見えてくる。そこがゴールです。
そしてまた、次の道が現れてくる。
そんなことを繰り返しながら、やがて歳を重ねていくように思います。自分は、
もう老年期に入りましたが、まだまだ道は続き(続くと思い)ます。
この3月31日で、私も一旦教師を「卒業」しますが、次の目標に向かって、
また歩き始める予定です。