校長室

創立記念日

 今日は、本校の創立記念日です。

 今から63年前の昭和32年10月1日に、当時の鴨島町立飯尾敷地小学校と鴨島第一中学校の分教室(結核学級)が国立徳島療養所(現在の独立行政法人国立病院機構 徳島病院)の中に設置されました。
 そして、昭和40年には「進行性筋萎縮症(進行性筋ジストロフィー)児学級」が設置され、昭和49年には、病院に隣接する場所に「徳島県立鴨島養護学校」が設立され、小学部と中学部が開設されました。翌年の昭和50年には高等部が開設されて今の校舎の原型が完成しました。
   従って、学校は昭和49年に開設されたので、今年は創立47年めとなります。

 開設当初は、小学部21名、中学部18名の計39名でスタートしました。翌年には高等部が加わり、62名に増えています。当時は、全員が「進行性筋萎縮症」等の筋疾患で国立徳島療養所に入院しており、県内出身者は14名で、他の児童生徒は四国3県や和歌山、大阪、兵庫県といった関西方面からも親元離れて来ていました。

 そして時は流れ、障害児教育から特別支援教育へと転換するのに合わせて、平成19年度からは「病弱児」に加えて「肢体不自由児」も受け入れるようになりました。しかしながら、児童生徒数は年々減少し、近年では全校児童生徒数が20数名となっています。

 ここで、本校の校訓である「強く 明るく 豊かに」について、昭和49年度の学校要覧に詳しく記載されていましたので、転記します。
 「強 く」:病気、障がいより生ずる苦悩を克服するための強い心を育成する。
 「明るく」:自主的な意欲を高め、楽しく、明るい人間を育成する。
 「豊かに」:知識を深め、情操を体得し、豊かな人格を形成する。

 これが、設立当初の校訓の目的でした。
 今の時代、「苦悩を克服」という表現はあまり使われないかと思いますが、当時の児童生徒の想いを詩にまとめた「ひやまじ」という詩集を読みますと、初代校長先生の想いを込めた校訓の意味がよく分かります。
 編集後記には、「・・・難病と闘いつつ真剣に人生を生き抜いている児童生徒のつぶやきや叫び声に耳を傾けて・・・」とありました。
 「ひやまじ」には、分教室や学校が開設されるまでは、病気への不安と闘いながら一日中ベッドの上で過ごしていた彼らの魂の叫び声が綴られていました。昭和52年に発行された「ひやまじ 第1集」を読むと、私は今でも胸が締め付けられます。
 
 創立記念日にあたり、設立当時のことを想像しながら、今の鴨島支援学校に求められていること、我々教職員にできること等を自問自答しています。

 「ひやまじ」は、昭和52年から毎年発行され、今年で第43集となります。「ひやまじ」の由来は、病院や学校の南側に連なる山「樋山地」からとったものであり、四季を通じて太陽の恵みを受けている山路の麓にある本校も、いつも「陽のあたる場所でありたい」と祈りつつ命名されました。現在は文集として児童生徒全員の日頃のつぶやきや日記、感想文、写真、作品等が自由な形で掲載されています。