校長室

体育・スポーツ 思いがけないプレゼント

 今年は年明けから能登半島地震が発生し、たくさんの方々が亡くなられ、被災され、本当に心が痛みます。石川県内の特別支援学校の状況では、石川県立七尾特別支援学校が一番被害が大きかったと、全国特別支援学校病弱教育校長会事務局から連絡をいただきました。本校でも義援金を募っているところです。被災地の1日でも早い復興をお祈りいたします。

 さて、そんな暗いニュースの中、うれしいプレゼントがありました。あの大谷翔平選手のグローブが本校小学部にも届いたのです。大谷選手は日本国内約20,000校の全小学校に各3つのジュニア用グローブ約60,000個を寄贈しています。その20,000校の中に特別支援学校も含まれていたのです。感動しました。それぞれのグローブには大谷選手のサインが入っていて、本校の児童生徒はおおよろこびでした。その様子は小学部のHPにアップされていますので、ご覧ください。本校ではこのグローブを使って実際に野球とまでは、なかなか難しいですが、夢と希望を与えてもらいました。

 大谷選手、本当にありがとうございました。

 

 

        

 

 

お祝い 本校の発表が全病連機関誌に

 去る8月17日(木)~18日(金)に、島根県にて中国四国地区病弱虚弱教育研究連盟研究協議会が開催されました。その中の第3分科会「連携」において、本校は「地域との連携~作品配布とオンラインミーティングアプリ『ZOOM』を活用した交流活動を通して~」というテーマで発表を行いました。令和2年度以降のコロナ禍における吉野川市役所との交流活動の工夫をまとめたものです。そしてその発表が全病連機関誌「病弱虚弱教育第64号」掲載の実践研究発表に推薦されると連絡をいただきました。うれしい限りです。

 本校は教育重点目標の1つに「保護者・地域及び関係機関との連携や協働による持続可能な学校作り」を掲げており、上の活動の他に、「防災オリエンテーリング」や、地元の小中高との交流校活動、また、11番札所「藤井寺」におけるお接待等、地域社会との関わりを深めています。地域の中にあり、地域の中で学校も生徒も育つことができるよう、今後も連携を通した教育活動を続けていきたいと思っております。

                          

                              吉野川市役所の様子

NEW 新赴任のご挨拶

 このたびの定期異動で校長として新しく赴任してまいりました大久保民枝と申します。3月末に引き継ぎのため初めて本校へ訪れた際、正門の満開の桜とかわいらしくペイントされた壁画に出迎えられ、心がほっこり温かくなりました。私は、前任校はお隣の川島高等学校で、教頭として勤務しておりました。今回、特別支援学校の勤務も初めて、また校長としても初めてということで、少し緊張しておりますが、一から勉強させていただきながら、児童生徒たちのために邁進していきたいと思っております。

 さて、令和5年度の学校経営方針における重点目標は次のとおりです。

 ①児童生徒一人一人を大切にし、その個性や能力に応じて自己実現をめざす個別最適な教育の推進

 ②安心安全な教育環境の整備と危機管理の推進

 ③研修の充実と教員の専門性の向上

 ④保護者・地域及び関係機関との連携や協働による持続可能な学校づくり

これらの重点目標のもと、小学部・中学部・高等部それぞれの発達段階に応じて、また児童生徒一人一人の障がいの特性に応じて、教育をしてまいります。

 どうぞよろしくお願いいたします。

 

感謝!

 <最後の職員会議でのごあいさつ>

 最初に、先生方にお礼申し上げます。

 この一年間、大変お世話になり、ありがとうございました。
 
 3月8日には、6名の卒業生を無事に送り出すことができました。
 当日欠席した小学部のSさんも、17日にお母様が来校して、代わりに卒業証書を受け取ってくださいました。
 そして、先ほどは、11名の在校生の進級・修了についてのご審議ありがとうございました。今年度は、全校児童生徒数18名と、県立学校としては一番小さな学校だと思いますが、その分、一人一人の子どもに寄り添い、根気よく丁寧に向き合ってくださったおかげで、子どものペースに合わせた教育ができたと感謝しています。

 そして、今回が最後の職員会議ということなので、ここで退職のごあいさつをさせていただきたいと思います。
 コロナが始まった令和2年4月に本校に赴任して、以来3年間、校長として勤務いたしました。それ以前にも、教諭として8年間、教頭として2年間勤務したので、計13年間も本校でお世話になりました。
 当初、学校は始業式の次の日から再度の臨時休業となり、約2か月間子どもたちのいない学校となり、これまでのような学校経営はできないと思いました。

 でも、大学時代の交通事故やけが、そして50歳を過ぎてからの病気の連続により、想定外のことには慣らされてきたこともあって、次第にチャレンジャー精神が身についてきました。よく言えば、柔軟性や臨機応変といったことが身についたのでしょうか。
 
 それで、「鴨島支援学校魅力化プロジェクト」ということを始めたわけです。

どんな境遇であっても、何かできることがあるし、今できることから取り組んでいきたいとの想いでした。
 1年目は、先生方への宿題として全員に企画書を提出していただき、投票の結果、HPの活性化と学校テーマソングの作成に決まりました。応援歌でもある「未来に向かって」は、なかなか披露する機会が持てませんでしたが、とてもいい歌なので、ぜひ機会あるごとに歌ってください。
 2年目は、太鼓をツールとした地域交流でしたが、昨年はコロナ禍で断念。今年やっと、飯尾敷地小学校とリモートで合奏できました。もし継続していただけるのでしたら、今度は対面での合奏にチャレンジしてください。
 
 そして3年目の今年は、「学校の壁面をペインティングしよう」でした。美術の先生方の強力なご協力により、冬休み明けには完成し、それに私も参加させてもらって桜を付け足し、先日ニスを塗って仕上げてくださいました。
 道行く人も「可愛いね」と声をかけてくれて、毎朝出勤する時に癒やされています。

 また、私はいつも言っているように、花が大好きです。そして、挿し木で増やしたミニバラや紫陽花の花の苗を、学校のあちらこちらに密かに植えています。気がつかないような小さな苗もありますが、数年後には立派な花を咲かせてくれるかなーと期待しています。

 このように、私は意図的にタネや苗を学校に植えてきました。ほったらかしでも強く育つ苗もあるでしょう。でも、植物が育つには、基本的には水や太陽の光や養分が必要です。水は足りなくても多すぎても枯れることがあります。

 大きく丈夫に育てるには、その植物に適した水や光や養分が必要です。それは、人間も同じだと思うのです。
 私がまいたタネや苗は、皆さんに託します。どうか大切に育てていただき、立派な花を咲かせてもらえたら嬉しいです。

 わずかながらですが、コロナの収束が見えてきました。どんなに絶望の状態でも、必ず希望は生まれます。
 我々教員は、子どもたちの希望や夢を見つけるお手伝いをすることが仕事なのかなと、退職を前にして感じています。

 過去には感謝を、未来には希望を。

 私も、次のステージに移ります。
 先生方、本当にお世話になり、ありがとうございました。
 

卒業式

 

 3月8日(水)午前10時から、第49回卒業証書授与式が挙行されました。

 春の到来を感じさせる暖かい日差しに恵まれ、通学生3名、病棟訪問生2名

(ご家族が代理出席)、自宅訪問生1名の6名が、卒業証書を受け取りました。

その後、在校生を代表して生徒会長から送辞、卒業生の代表から答辞があり、

それぞれ自分の役割を立派に果たしました。特に、答辞を読んだSさんは、

本校の中学部と高等部で6年間学びました。入学当初は不安感が強く、移動する

ときには誰かの腕をつかんで放さなかった彼が、高等部に進学してからは一人で

行動できることが増え、生徒会長としての2年間の経験がさらに自信となり、

様々なことにチャレンジして素晴らしい成果を残しました。

 「旅立ちの日に」の曲をBGMにした感動的な答辞は、会場を感動の渦に巻き込み

ました。そして全員で校歌斉唱の後、卒業生たちは胸を張って退場し、笑顔で

学び舎を後にしました。皆さんの未来に幸あれ!

 

                        式    辞


 今年の冬は、珍しく何度か大雪が降りました。しかし、厳しい寒さの中にも、生命の息吹は、一歩一歩 着実に春に向かってやってきています。暖かな春風に誘われて、小さな蕾もあちらこちらでほころび始めています。
 
 今日のこの佳き日に、徳島病院 橋口院長様、宮崎診療部長様 並びに 坂口PTA会長様、さらには 本校 学校運営協議会委員の皆様方のご臨席を賜り、また、保護者やご家族の皆様方のご出席をいただき、徳島県立鴨島支援学校第四十九回 卒業証書授与式を挙行できますことを、心より感謝申し上げます。
 
 小学部 3名、 中学部 2名、 高等部  2名 (呼名)

ご卒業おめでとうございます。
 

 先ほど、授与いたしました卒業証書は、皆さんがこれまで日々努力してきた結果であり、成長の証でもあります。皆さんは、それぞれの学部でたくさんのことを学び、入学した頃とは比べものにならないほど、心も体も成長しています。
 中学部と高等部の4人の卒業生の皆さんは、3年前、本校入学と同時に、新型コロナウイルス感染症のために、2か月の臨時休校となりました。学校再開後も、様々な行事が中止や延期となったり、変更したりしました。学校外での活動にも制限がかかり、交流校のお友だちとも直接会うことができなくなりました。
 その替わりに、タブレットなどのICT機器を使って、画面を通して相手の顔を見たり、会話をしたりする機会が随分と増えてきました。
 飯尾敷地小学校のお友だちとは、リモートで太鼓の合奏をすることもできました。
 また、本校はパラスポーツ競技の「ボッチャ推進校」として、今年度は県が主催する大会に何度か参加し、他校と実際に試合をすることで、スポーツの楽しさをより実感することができました。ターゲットボッチャの部では、学校や自宅にいながら、県内外の学校や外国の選手と対戦することができ、優勝や入賞するなど、素晴らしい成績を残すことができました。
 新聞に何度も取り上げられ、短期間のうちに、本校はボッチャに強い学校として 知られるようになりました。
 病棟生のNさんやOさんとは、今年も直接会うことはできませんでしたが、毎週リモートで病室と繋いでいただき、画面越しに元気そうな姿を見ることができて、安心するとともに、とても嬉しかったです。 
 訪問生のKさんは、運動会には学校に来て直接競技に参加できましたね。皆さんが、前向きに生き生きと取り組む姿は、私たち教職員にとりましても、喜びであり 誇りであり、エネルギーの源でした。

 保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。今日までの日々を思い返されて、万感胸にせまるものがあることと存じます。
 入学以来、本校教育に対しまして、深いご理解と温かいご協力を賜り、本当にありがとうございました。今後とも、変わらぬご支援をお願い申し上げます。
 
 最後になりましたが、卒業生の皆さんは、 各学部の最高学年として、児童生徒会の仕事や学部行事等でリーダーシップを発揮してくれました。その成長した姿や笑顔は、在校生や私たち教職員の心の中に、今も輝いています。
 次の学部に進学する人、社会に出て行く人、それぞれにまた新しい出会いが待っています。期待とともに不安な気持ちもあると思いますが、皆さんは、これまでも「コロナウイルス」という目に見えない敵にも負けることなく、学校生活を楽しんできました。自分の「役割」は何か、ということを考えながら、これからも「強く明るく豊かに」の校訓どおり、思いっきり泣き笑い、豊かな人生を送って欲しいと願っています。
 
 皆さんのこれから進む未来が、健やかで幸多きことを心からお祈りして、式辞といたします。

  令和五年三月八日

                   徳島県立鴨島支援学校長  森本 真由美

 

卒業式に向けて

 3月8日(水)、本校の第49回卒業式を挙行します。

 今年度は、小学部3名、中学部2名、高等部3名の計7名が卒業します。

徳島病院に入院している子どもは、保護者の方が代理で参加して、卒業証書

を受け取ってくださいます。

 

 さて、突然ですが「卒業式」や「卒業証書」に意味はあるのかと問われたら、

何と答えますか。

 人生80年と言われていたのが、今や90年、100年の時代になりました。

人によって長短はありますが、お母さんのお腹のなかで受精卵が着床した時点から

妊娠が始まり、やがて人の姿まで成長した後、この世に誕生します。

その時、姿形は人間ですが、産まれたての赤ちゃんは、自分で生きていく術は何一つ

持っていません。そのままにしておくと、確実に命は消えます。

 そこから、両親や家族、その他たくさんの人の力を借りながら成長していきます。

そして、寿命を迎えるまでに、様々なライフステージが訪れます。

乳児期、幼児期、児童期、青年期、成年期、壮年期、老年期。。。区別の仕方は

様々ありますが、年齢や成長発達に合わせて、変化していきます。

 人間も動物の仲間ですが、他の動物と決定的に違うのは、本能だけでなく理性が

あるということです。それは、学習することによって獲得できるものなのです。

そのために、学齢期といって、小学校と中学校が義務教育と定められています。

その後も、高等学校、大学等、成長発達に合わせて学びの場が用意されています。

 日本国憲法には、「教育を受ける権利」と「教育を受けさせる義務」が明記されて

います。学齢期の子どもは「教育を受ける権利」があり、その保護者や周囲の大人には

「教育を受けさせる義務」があるのです。

 そして、それぞれの学びの最後には、その教育の課程を「修了」したことを広く

知らしめるために「卒業式」で卒業証書が授与されるのです。それは、一種の証明書

として、次の学びを受ける(進学する)ために必要となることがあります。

ですから、「卒業式」も「卒業証書」も決して意味がないわけではないのです。

 長いライフステージの中の、一つの区切りだと思います。あまり先が長すぎると

目標を見失いそうになるので、スモールステップで目標を立てて、それに向かって

進む。途中で変更も可能です。真っ暗の中、手探りで進まなければならない特は、

とても不安だけれど、進む内にやがて一筋の光が見えてくる。そこがゴールです。

そしてまた、次の道が現れてくる。

 そんなことを繰り返しながら、やがて歳を重ねていくように思います。自分は、

もう老年期に入りましたが、まだまだ道は続き(続くと思い)ます。

この3月31日で、私も一旦教師を「卒業」しますが、次の目標に向かって、

また歩き始める予定です。

 

 

如月

 

 「一月往ぬる、二月逃げる、三月去る」とはよく言ったものです。

いよいよ3学期が始まったなーと思っていたら、いつの間にか二月も

半ばを過ぎていました。

 卒業式もそろそろ近づいてきて、卒業学年は落ち着かないことと思います。

一年間というより、各学部や学校生活の総仕上げに入っていることでしょう。

 

 かく言う私も、そろそろ37年間の総仕上げに入らねばならぬのですが、

日々の公務に追われ(たフリ?)、整理も片付けもできていません。

たぶん、最後までジタバタしていることでしょう。

 仕事の進め方は、長年身に染みついたものであり、なかなか変わるもの

ではありませんね。最後の日まで駆け抜けていこうと思っています。

 

 この3年間、コロナ禍にもかかわらずクラスターを発生させず、大雪でも

休校にせず、授業を続けて来られたのは、保護者の皆様方のご理解とご協力

があってのことと、深く感謝申し上げます。

 また、病弱支援学校の職員であるという高い意識をもって、毎日子どもたちに

向き合ってくれている教職員の皆さんにも、あらためて感謝いたします。

 

 あと少し、よろしくお願いいたします。

 

3学期

 

    あけましておめでとうございます。

 今年の3学期の始業式は、1月10日(火)でした。

 2学期の終業式は大雪に見舞われ、県内各地で積雪しましたね。

 学校周辺も一面雪景色となり、樋山路の山並みも雪ですっぽりと

 包まれました。

 今年の冬は例年に比べて寒そうです。インフルエンザの流行も

 心配されています。皆さん、コロナとともに気をつけてください。

 

 さて、始業式では、毎年「自分が目標とする言葉」を公表?しています。

 昨年は、「お互いさま」と「おかげさま」でした。不要なカレンダーの裏

 に毛筆で書き初めをして、一年間校長室の壁に貼って、毎日見ていました。

 この二つは、ともに謙虚に反省する心を引き出してくれる言葉だと思います。

 そして、今年の目標を考えた時、この3月で教員を「卒業」する自分としては、

 やっぱり「ありがとう」とか「感謝」かなと思いました。

 毎日の生活の中で、多くの人に支えられていることに感謝して、一日一日を大切

 に過ごしていこうと思っています。

 

 そして、干支も自分の「寅年」から「卯年」へと替わりました。

 「卯」には「安全」とか「飛躍」という意味が込められていると聞きます。

 新しい年が皆さんにとって、安心安全で飛躍の年になるようにお祈りしています。

 

 

師走

 

とうとう12月に入りました。

今年は、秋になっても暖かい日が続き、11月になったらなったで

本校は暖房が入るため、寒さ知らずのうちに年末を迎えました。

南窓からの日差しに、ポカポカとしてパソコンを打つ手が止まり、

ボーッとすることがたまにあります。

それでも、朝晩はさすがに冷え、日中でも校長室の窓から見える

クヌギの並木が強風に吹かれて揺らいでいて、冬の到来を感じます。

 

2学期を振り返ると、8月末から急激に増加した新型コロナウイルス

感染者の影響で県のアラートも上がり、9月末に予定していた中学部

の修学旅行を来年に延期しました。

しかしながら、10月の小学部と高等部の修学旅行は、児童生徒の

「行きたい、見たい」という希望を優先して計画し、多少行き先を

変更しましたが、決行しました!

 

11月には学校祭があり、3年ぶりに即売と午後の部を再開しました。

保護者と来賓の皆様に参加していただき、子どもたちが活躍する場面を

見守っていただきました。

午後からの、「NPO法人 太鼓の楽校」さんによる和太鼓の演奏では、

本校の児童生徒も一緒に演奏して、賑やかで楽しい時間を過ごしました。

 

それ以外にも、教育の日による学校開放、学級やクラスによる校外学習、

ロボプロ選手権中四国大会、着物着付け体験、飯尾敷地小学校との太鼓を

ツールとした地域交流、市役所とのリモート交流、学校対抗ボッチャ大会

県教委学校訪問 等々。

11月は、たくさんの学校行事があったり訪問者があったりで、慌ただしく

過ぎていきました。土日も私的行事が入り、連日休む間もなく12月を迎えて

しまったというわけです。

 

年の瀬へのカウントダウンが始まるとともに、自分の退職へのカウントダウン

始まりそうですが、37年間の教員生活を振り返っている間もなく、あと

4か月が過ぎていくような気がします。

次の方への引き継ぎをきちんとしつつ、残された日々を子どもたちや教職員の

皆さんにとって、過ごしやすい居場所になるような学校づくりをめざして、

ラストスパートします!

 

 

 

ラストラン

 本校校長3年目

 退職までのラストラン

 コロナとともに

 気がつけばもう7月

 梅雨真っ盛り

 なのに連日の猛暑日

 雷雨に驚き 暑さにくじけ

 今年の夏を憂う 今日この頃

 東京では 今日で梅雨明けだと