校長室
お便り
50周年記念式典後、第二十代森本校長先生より、お便りをいただきました。
うれしいお便りをありがとうございました。
徳島県立鴨島支援学校 喜多校長先生
教職員の皆様
児童生徒の皆さん
保護者の皆様
先日の鴨島支援学校創立50周年記念式典では、ご招待いただき、ありがとうございました。
小規模校としての式典ならではの、隅々まで丁寧に気配りされた、心温まるアットホームな式典でした。数年前から準備してきたことが実現できて、最初の段階から多少なりとも関わってきた者として感無量でした。これもひとえに、校長先生をはじめ、教職員の皆様方、児童生徒の皆さん、保護者の皆様方のご尽力の賜物だと感謝申し上げます。
山下さんの講演では、卒業生を代表して、40年前の当時の学校や病棟の様子を映像等で紹介するとともに、その当時の在校生たちの 心の叫びや想いを代弁していただき、懐かしく視聴しつつ、同時に胸を締め付けられる思いでした。当時と今とでは、児童生徒の病気や取り巻く環境が全く異なるため、単純に比較することはできませんが、学校や病院の歴史を語る上で大変重要なことだと思います。
私が新任として赴任した当時(昭和61年頃)、「筋ジス教育(病弱教育)は教育の原点である」と言う言葉をよく耳にしましたが、正直その「原点」という言葉の真意は理解できていませんでした。
現在、教育相談に携わる身として、毎日様々な悩み等の相談を受けていますが、進行性の難病で生きたくても長くは生きられない(当時)と言われていた子どもたちの状況を考えると、本当に一日一日がどんなに大切で貴重な時間だったかが分かります。
命を燃やしながら、毎日を生きていたのです。
当時を知る人も少なくなっていますが、鴨島養護学校の歴史とともに、病気と闘いながらも明日を夢見て生きていた子どもたちがいたことを、少しでも多くの人に知っていただけたら嬉しいです。
鴨島支援学校の今後ますますのご発展と、皆様方のご多幸をお祈り申し上げて、お礼の言葉に代えさせていただきます。
本当にありがとうございました。
第二十代校長 森本 真由美
創立50年記念式典
令和6年10月5日(土)本校の創立50周年記念式典が挙行されました。
ご多用にもかかわらず、多数の方々のご出席を賜り、ありがとうございました。また、たくさんのお心遣いに感謝申し上げます。
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たくさんのお花を ありがとうございました。
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50周年に際しまして、お心遣いいただきました、富士建材株式会社様、吉野川市職員労働組合様、野菊の里 施設長 大塚 勉 様、 第十六代校長 小倉 智子 様、第十七代校長 林 愽子 様、第十八代校長 大西 豊 様、第二十代校長 森本 真由美 様、第二十一代校長 大久保 民枝 様、掛田 千津子様、中 史治様、杉本 貞代様、そしてご協力いただきました徳島県立吉野川高等学校様、ありがとうございました。
式 辞
秋の訪れを感じる今日の良き日、徳島県教育委員会副教育長 松本 光裕様、独立行政法人国立病院機構とくしま医療センター院長 近藤 秀治様、吉野川市健康福祉部長 中山 泰治 様をはじめ、多数のご来賓の方々のご臨席を賜り、ここに徳島県立鴨島支援学校創立五十周年記念式典を挙行できますことは、この上ない大きな喜びであります。教職員を代表して、心より御礼を申し上げます。
また、本校児童生徒が取り組んでおります、学校間交流、防災オリエンテーション、ふれあい交流会など、どの活動も皆様のご支援のおかげで充実した教育活動となっております。これまで、本校の教育に携わってこられました歴代校長先生方をはじめ、旧職員の全ての方々、交流をしていただいております小学校・中学校・高等学校のみなさま、学校運営協議会および保護者の皆様の温かいご理解に深く感謝申し上げます。
さて、創立五十周年にあたり、今一度、本校の歴史を紐解いてみたいと思います。
本校の前身は、昭和32年10月、麻植郡飯尾敷地小学校・鴨島第一中学校の国立徳島療養所分教室だと伺っております。各学校の先生方が「療養所に入所している結核学級の児童生徒たちに学を」と考え、学習指導したことが始まりだったそうです。昭和39年、四国唯一の進行性筋ジストロフィー学級が設立します。プレハブの教室で、結核と筋ジスという、全く異なった病気の児童生徒たちに対する学校教育の確立に、当時の国立徳島病院のドクターと教師が手探りで学校環境、教育方法などを確立していきました。SDGsの目指す社会の目標である「誰一人取り残さない」という言葉すらなかった時代に、ドクターの協力を得ながら、この両校の教員は、例外を許さず、すべての児童生徒の教育に打ち込んでいったのです。先輩教師の教育に対する情熱に、頭が下がる思いを持つと同時に、このような教師たちによって創造された教育を受け継ぐ学校であることを誇りにも思います。学校祭、校外学習への参加など、児童生徒と教職員が積極的に教育活動に取り組んでいたことは、当時の資料からも読み取ることができます。そして、これらは、令和6年の現在も大切な教育活動として継続されております。昭和49年徳島県立鴨島養護学校が設立し、翌年には、第1回医教連絡協議会運営委員会が実施され、医療の力と教育の力を両輪とし、児童生徒の確かな教育がなされてきました。平成22年 徳島県立鴨島支援学校と校名が変更され、現在に至ります。創立当時は、46名であった児童生徒数ですが、近年の少子化および、病床の移転に伴う転校等もあり、児童生徒の数は減少しております。
しかし、前身からの先輩教員の意志をしっかりと受け継ぎ、教育への熱意と強い使命感は失われてはおりません。とくしま医療センター西病院のドクターからは、一人一人の児童生徒に対する、ご指導、ご支援を頂いております。教職員は、理学療法士等による研修、中四国病弱虚弱連盟による研究協議会への参加など、高い専門性に裏付けられた教育を求めつつ、常に理論に基づいた実践を重ね、検証と改善を繰り返して参りました。児童生徒に色々な体験をしてもらいたい、様々な経験を積んで欲しいという思いとその工夫に関して、本校の全教職員は、日々、努力しております。そして、児童生徒たちも、毎日、色々なことにチャレンジしています。文化部門においては、平成24年読書活動の実践において、文部科学大臣より表彰を受けており、その後も、令和2年、令和6年「読書の活性化プロジェクトⅣ」において、知事賞を受賞しております。
スポーツ部門においては、令和2年、スポーツ大会ターゲットボッチャ部門において準優勝を、令和5年には、 個人競技で、スラローム第1位、また、ソフトボール投げでは、大会新記録で第1位になるという活躍をした生徒もいます。
ICT部門においては、令和5年には、中四国ロボットプログラミング大会で優勝をしております。
これらは、日ごろの取り組みが評価された結果でありますが、この他にも、校内では、かもカフェ、校外では藤井寺でのお遍路さんへのお接待など、児童生徒が、先生方と共に、お客さんや、お遍路さんの立場になり考え、喜んでいただけるもの作りや、声かけをして、がんばっています。
そして、今年度から、「地域の公共施設をもっとバリアフリーに」という新たな研究課題への取り組みを行っています。鴨島図書館にご協力をいただき、本校の児童生徒だからこそ気づく改善点を伝えるとともに、性別、年齢、障がいの有無を問わず、すべての人々が利用しやすいユニバーサルデザインに挑戦しています。また、今後も、鴨島支援学校だからこそ気づくことのできる視点を強みとし、町づくりの共創に挑戦していきたいと考えています。
さて、児童生徒のみなさん、みなさんの頑張りは、学校を越え、同級生や、社会の人々までも明るくし、元気付け、その元気はまた、みなさんに返ってくるのだということです。人々を勇気づける、その力強いパワーが、お互いを尊重する思いや、がんばりを招き、生活を豊かにしていくのです。これからも、「強く 明るく 豊かに」、先生方や事務室の方々と一緒に、よりよい鴨島支援学校を作っていきましょう。
結びとなりますが、創立以来、50年間にわたりまして、本校にご支援を賜りました徳島県教育委員会をはじめとする関係機関の皆様、とくしま医療センター西病院の先生方、温かく見守り、応援していただきましたPTA、地域関係者の皆様に心から感謝申し上げます。そして、ご臨席賜りましたみなさま方には、引き続き、これまでと変わらぬご支援、ご指導をお願い申し上げます。これから先も、児童生徒たちと、徳島県立鴨島支援学校の新たな歴史を作り上げて行くことをお誓い申し上げ、式辞といたします。
令和六年十月五日
徳島県立鴨島支援学校
校長 喜多 久美子
暑中お見舞い申し上げます
本校も夏休みに入りました。
エントランスにある金魚の水槽の水が32度になり、
あわてて水槽の扇風機を使用しました。
これからは、金魚にもクーラーが必要な時代がくるのかも知れませんね。
35度を優に超す、登校日の日、生徒たちから、思わぬ贈り物がきました。↓
とても、とても嬉しい暑中見舞いをありがとうございました。
みなさまもご自愛ください。
母の日*父の日
今日は、小学部の児童が作った可愛らしい作品を紹介します。
いつも、お世話になっている、大好きなお母さん、お父さんへ
母の日、父の日の感謝のカードを書きました。
写真ではありますが、カードを見せていただいて、
心がほっこりしました。
お母さんも、お父さんも、きっと、ほっこりしていますね。可愛らしいカードを見せてくれて、ありがとうね。
高等部からの贈り物
先日、高等部の畑で、きれいな「サンチェ」が 収穫できました。 鮮やかな緑色で、食べるのがもったいないほど綺麗でした。 高等部の生徒や、先生たちが一生懸命育てた、きれいな野菜。 青虫に食べられたあともなく、丁寧に、丁寧に育てたのだと思います。 |