校長室
令和2年度卒業式
本日、春の陽気が感じられる暖かな日差しの中、徳島県立鴨島支援学校 第47回卒業証書授与式が挙行されました。
小学部3名、中学部1名の計4名は、それぞれの学部を卒業して、4月からは次の学部に入学する予定です。高等部は4名が本校を卒業しました。進路先は一人一人異なりますが、本校で学んだ事を力にして、新しい場所でも頑張って欲しいと思います。
保護者の皆様には、お忙しい中ご出席いただき、本当にありがとうございました。
教職員一同、心を込めて卒業生を送り出すことができました。
ここに、校長の式辞を掲載します。
校長となり初めての式辞ですが、卒業生一人一人の顔を思い出しながら考えました。
式 辞
厳しい冬の寒さに耐えながらも、校舎へと続く木々の枝先には、桜の蕾がほころび始めています。三寒四温の言葉どおり、時折吹く暖かい風に、春の訪れを感じる季節となりました。
今日のこの佳き日に、徳島病院 西野院長様、宮崎小児科医長様のご臨席を賜り、また保護者やご家族の皆様方のご出席をいただき、徳島県立鴨島支援学校 第四十七回卒業証書授与式を挙行できますことは、卒業生はもとより、私たち教職員・在校生にとりましてもこの上ない喜びであり、厚くお礼を申し上げます。
ただいま、小学部三名、中学部一名、高等部四名の皆さんに卒業証書を授与いたしました。卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。 先ほど、授与いたしました卒業証書は、皆さんがこれまで日々努力してきた結果であり、成長の証でもあります。
「卒業」という言葉には、大きな喜びとともに少しの寂しさを感じます。皆さんが本校で過ごした期間に長短はありますが、それぞれの学部でたくさんの学びを経験した皆さんは、入学した頃とは比べものにならないほど、心も体も成長しています。それぞれの学部で最高学年として、毎日の学習以外にも生徒会活動や学校行事に、一生懸命取り組んだ成果は、確実に皆さんの力となって、次のステージでの活躍に繋がっていくことでしょう。
今年度は、四月七日に休校の延長が決まり、五月末に学校が再会した後も、コロナ禍の中で様々な行事が中止になったり、規模を縮小したりして実施することになりました。皆さんの活躍の場が奪われたことは、本当に残念でした。しかしながら、皆さんは手洗いや消毒などの感染症対策をしながらも、自分たちの目標に向かって一歩一歩確実に歩んできました。
そして、高等部では希望する進路を実現するために、一年生の時から施設見学や就業体験に取り組んできました。知らない場所で知らない人と一緒に過ごしたり 仕事をしたりすることは、本当に緊張します。でも、最後まで自分を信じ、周りの方々の助言を素直に受け入れ、粘り強く努力することで、進路を決定することができました。
皆さんの、何事にも全力で取り組む姿は、私たち教職員にとりましても、誇りであり、エネルギーの源でした。私は、皆さんと出会ったことに感謝しています。皆さんと出会い、ともに学び、皆さんの大事な成長を側で見届けることができて、本当に幸せでした。
保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。今日まで、大切に育ててこられた日々を思い起こされ、万感胸にせまるものがあることと想います。
卒業生一人一人も、保護者の皆様の深い愛情と支援があってこそ、 今日の日を迎えられたと、感謝の気持ちで一杯だと思います。入学以来、本校教育に対しまして深いご理解と温かいご協力を賜り、本当にありがとうございました。今後とも、変わらぬご支援をお願い申し上げます。
最後になりましたが、卒業生の皆さん。小・中学部では、各学部の最高学年として、高等部では本校の最終学年として、在校生のお手本となり、リーダーシップを発揮してくれました。その姿は、在校生や私たち教職員の心の中に、ずっとずっと輝いています。
本校の卒業生であることに誇りをもって、これから始まる新しい生活でも、本校の校訓である 「強く 明るく 豊かに」 を思い出して、たくさんの人と出会い、泣き笑い、豊かな人生を送って欲しいと思います。
『 ここにいるから出会えた仲間 ほほえみが 幸せを 連れてくる
一人一人が輝いて 自分の花を咲かせよう 共に歩み 共に進もう 未来へ飛びだそう 』
今年度、皆で作った学校のオリジナルテーマソングです。
皆さんのこれから進む未来が、健やかで幸多きことを心からお祈りして、式辞といたします。
令和三年三月十日
徳島県立鴨島支援学校 校長 森本 真由美
「かも先生チャレンジ動画」完成
学校祭の演示と演示の間、換気の時間に本校公式マスコットキャラクターの「かも先生」によるチャレンジ動画を上映します。
今日は予行演習でしたが、初めて動画を見て、その愛らしさに頬が緩みっぱなしでした。
HPにも、「かも先生日記」のコーナーで静止画を毎週掲載していますが、巨体を思いっきり動かしながら、学校でできる様々なことにチャレンジしている姿は本当に可愛くて、もっとたくさんの人に見てもらいたいなと思いました。コロナ禍で、校外に出て広報できないのがとっても残念です(ToT)
「トランポリン跳んでみた」
「空き缶つぶし」
「阿波おどり踊ってみた」
「太鼓の達人」
そのうち,HP上でも見られるようにしたいと思います。
学校祭予行
今年の学校祭は、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、日程をはじめ様々な変更がありました。
当初は11月28日(土)開催予定でしたが、インフルエンザの心配もあり、10月31日(土)へ約1か月早く前倒しするとともに、「3密」回避のために当日参加していただくのは保護者や家族の方に限定して、作品展と演示のみの午前中開催としています。
本番5日前の今日は、予行演習でした。
演示を通しで見るのは今日が初めてでした。当日のお楽しみのために詳しい内容は言えませんが、各学部ともに短期間の間に授業を中心に練習や準備を重ねてきたことがよく分かる、素晴らしい内容でした(^_^)
これまでにも、当日、舞台に立つことができなくても、タブレット端末等のICT機器を活用して一つの作品の中で共演することは可能でした。
しかし、Society5.0時代の到来とともに、今のWITHコロナに合わせた「新しい生活様式」として「オンライン」や「リモート」といった新しいコミュニケーション手段を取り入れることで、双方向的なやりとりが可能となり、さらに臨場感あふれる作品になっていました。
これだけでは、何のことか?でしょうが、今回は各学部の演示のテーマだけ紹介しますので、ぜひ想像を膨らませてみてくださいね。
小学部 :「世界に一つだけの花」
中・高等部:「続ミッションinおへんろ 新しいおせったい様式や~♪」
小学部修学旅行~行ってきます~
今年の修学旅行は、新型コロナウイルス感染症の影響で、中学部は2年生のため来年に延期し、小学部は1泊2日のところを日帰りとしました。(高等部は隔年で実施のため、今年は元々予定なし)
行き先については、徳島県内も検討しましたが、7月~8月にかけて「徳島アラート」が発令されるほど県内において感染者数が急増したことにより、香川県も選択肢に入れました。そして、晴天なら「NEWレオマワールド」、雨天なら「四国水族館」に決めて、混雑を避けて金曜日から月曜日に変更しました。
先ほど、小学部が香川県の「NEWレオマワールド」に向けて出発しました。
今日は、あいにくの曇り空で、出発前には通り雨の洗礼を受けましたが、子どもたちが乗り込む前には雨も上がり、笑顔で出発することができました。
北西の空は明るく、爽やかな秋空になることを祈っています。
みんな、思いっきり楽しんできてね(*^o^*)
創立記念日
今日は、本校の創立記念日です。
今から63年前の昭和32年10月1日に、当時の鴨島町立飯尾敷地小学校と鴨島第一中学校の分教室(結核学級)が国立徳島療養所(現在の独立行政法人国立病院機構 徳島病院)の中に設置されました。
そして、昭和40年には「進行性筋萎縮症(進行性筋ジストロフィー)児学級」が設置され、昭和49年には、病院に隣接する場所に「徳島県立鴨島養護学校」が設立され、小学部と中学部が開設されました。翌年の昭和50年には高等部が開設されて今の校舎の原型が完成しました。
従って、学校は昭和49年に開設されたので、今年は創立47年めとなります。
開設当初は、小学部21名、中学部18名の計39名でスタートしました。翌年には高等部が加わり、62名に増えています。当時は、全員が「進行性筋萎縮症」等の筋疾患で国立徳島療養所に入院しており、県内出身者は14名で、他の児童生徒は四国3県や和歌山、大阪、兵庫県といった関西方面からも親元離れて来ていました。
そして時は流れ、障害児教育から特別支援教育へと転換するのに合わせて、平成19年度からは「病弱児」に加えて「肢体不自由児」も受け入れるようになりました。しかしながら、児童生徒数は年々減少し、近年では全校児童生徒数が20数名となっています。
ここで、本校の校訓である「強く 明るく 豊かに」について、昭和49年度の学校要覧に詳しく記載されていましたので、転記します。
「強 く」:病気、障がいより生ずる苦悩を克服するための強い心を育成する。
「明るく」:自主的な意欲を高め、楽しく、明るい人間を育成する。
「豊かに」:知識を深め、情操を体得し、豊かな人格を形成する。
これが、設立当初の校訓の目的でした。
今の時代、「苦悩を克服」という表現はあまり使われないかと思いますが、当時の児童生徒の想いを詩にまとめた「ひやまじ」という詩集を読みますと、初代校長先生の想いを込めた校訓の意味がよく分かります。
編集後記には、「・・・難病と闘いつつ真剣に人生を生き抜いている児童生徒のつぶやきや叫び声に耳を傾けて・・・」とありました。
「ひやまじ」には、分教室や学校が開設されるまでは、病気への不安と闘いながら一日中ベッドの上で過ごしていた彼らの魂の叫び声が綴られていました。昭和52年に発行された「ひやまじ 第1集」を読むと、私は今でも胸が締め付けられます。
創立記念日にあたり、設立当時のことを想像しながら、今の鴨島支援学校に求められていること、我々教職員にできること等を自問自答しています。
「ひやまじ」は、昭和52年から毎年発行され、今年で第43集となります。「ひやまじ」の由来は、病院や学校の南側に連なる山「樋山地」からとったものであり、四季を通じて太陽の恵みを受けている山路の麓にある本校も、いつも「陽のあたる場所でありたい」と祈りつつ命名されました。現在は文集として児童生徒全員の日頃のつぶやきや日記、感想文、写真、作品等が自由な形で掲載されています。